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慶応義塾高校の中国語教師を経て ふたたび音楽活動をスタート!! 日中の音楽交流を目指す!! 印刷
2011年 11月 17日(木曜日) 17:13


2011111701〈ゲスト〉

瞳みのる(ひとみ・みのる)

〈プロフィール〉

1946年京都生まれ、本名は人見豊(ひとみみのる)。1967~71年まで「瞳みのる」の名で、ザ・タイガースのドラマーとして在籍。グループ解散後、芸能界から完全引退。京都府立山城高等学校定時制卒、慶應大学文学部中国文学科卒、同大学大学院修士課程修了。慶應高等学校で教鞭をとるかたわら、同大学博士課程3年時、北京大学へ2年間留学。中国文学特に唐詩を専攻し、実作も行う。京劇と日舞のコラボレーションのプロデュースや英・米・日・中の歌曲の作詞・作曲・翻訳など行っている

 

「ザ・タイガース」のドラマー「ピー」こと瞳みのる氏。ザ・タイガースの解散の後に芸能界を完全引退。慶応義塾大学で中国語を学び、中国語教師として高校の教壇に立ちつづけてきた。そして、今秋にはザ・タイガースが事実上復活、ふたたび音楽活動に全力を注いでいるという。解散から40年の時を経て、瞳氏の音楽観はどのように変化したのか。そして、中国にどのような思いを抱いているのか。そのあたりを聞いてみた


 「ザ・タイガース」のドラマーから中国語教師に転身


編集長 瞳さんといえば、「ザ・タイガース」のドラマーとして知られています。このほど、ザ・タイガースも事実上復活を遂げ、今はツアーの真ッ最中とのことですが、ザ・タイガースが解散してからはどのような活動を展開していたいのですか。

瞳 とにかく勉強して、解散の翌年には慶応義塾大学に入りました。そして、大学に入ってからもひたすらに勉強しました。音楽活動に取り組んでいたことで、周囲と知識の差がありすぎると痛感したからです。

編集長 大学では中国語を専攻されていたそうですが、どうして中国語を選んだのですか。

瞳 私の祖父は日露戦争、父は日中戦争に従軍していました。私は戦後生まれだったこともあって、正直いってそれぞれの国に対する贖罪の気持ちはあまりありませんでした。しかし、父から当時の日本兵が中国人にしたことを聞いたりするうちに、徐々に中国に申し訳ないことをしたという気持ちを抱くようになりました。ある意味、中国語を選んだのは間接的な謝罪の気持ちがあったからなのかもしれません。

とはいえ、本当に中国語を学ぶことで、大きく成長できたと思っています。人は同じところにとどまっていてはなかなか成長できません。つねに動き、いろんな視点を持つことで成長できるのです。それは語学に関しても同様です。たとえば、英語、日本語、中国語ができると、さらにその違い・共通点が発見できる。私にとって中国語は新しい視点のひとつになったのです。

編集長 北京大学にも留学されていますね。そのときの印象的だったエピソードはありますか。

瞳 留学したのは81年です。当初はギャップに大いに困惑しました。思想面でも文化大革命の影響が残っており、市民同士も相互監視しているような状況だったのです。

編集長 その後、慶応高校に漢文や中国語の教師として勤めたわけです。

瞳 おかげで、多くの生徒たちとふれあいながら、自分自身も成長させてもらいました。また、日中の高校生の交流事業などにも力を入れることができました。本当に有意義な時間だったと思っています。

 

文学的要素を加えながら音楽を見つめ直す

 

編集長 最近は明治時代の音楽に興味をお持ちとのことですが。

瞳 音楽を生業にしている以上、日本における西洋音楽の創世記だった明治時代の音楽を知りたいと思い、資料を探しはじめたんです。

編集長 西洋音楽はどのように日本に入ってきたのですか。

瞳 日本における西洋音楽のルーツは、浦賀に来航したペリーの艦隊音楽だといわれています。それ以来、西洋音楽は着実に日本音楽のなかに取り入れられてきたのですが、メロディーは同じように演奏できても、歌詞をどうするかという問題がありました。そこで、日本風に歌詞を翻訳した西洋音楽が広まり始めたのです。当時は「富国強兵」の時代だったので、そういったニュアンスの歌詞が多いのも特徴です。

編集長 翻訳した内容は原曲とどのように異なるのですか。

瞳 国境を越えた歌のなかに「旅愁」という曲があります。原曲は150~200年前のアメリカの民謡「Dreaming of Home and Mother」です。これを19世紀の終わりに熊本の教師で作詞家の犬童球渓が「旅愁」として訳して日本に伝えました。それを日本に留学していた李叔同がさらに漢訳し、「送別」として中国に広まりました。原曲は母と故郷を愛しむ歌でしたが、日本語訳になると原曲に登場しなかった父親が登場します。そして、中国版になると、友人との別れの歌になっています。このように多くの歌は国によっていろんな表情を見せるようになっていったのです。

編集長 日本における歌詞の翻訳の特徴についてお聞かせください。

瞳 日本の翻訳は非常に優れていると思います。そもそも日本は古くからアレンジするのが得意な民族なのです。鎖国政策下においても、出島において文化・情報の取捨選択を行い、それらを日本流にアレンジしてきたわけですから。たとえば、日明貿易で輸入されたウチワは扇子として日本に取り入れられたものです。そのほかにも、日本は西欧の体育、美術、音楽といったものを取り入れ、独自のアレンジをして義務教育として取り入れたりしてきました。

編集長 歌は時代とともに変わったり、なくなったりするものなのでしょうか。

瞳 多くの歌は使われている言葉や概念が時代遅れになるにつれて、歌われなくなります。あの有名な「蛍の光」についても本当は4番まであるのに、最近では一番しか歌われなくなりました。ちなみに、原曲はスコットランドのものなのですが、日本版の歌詞は原曲とはまったく違うものになっています。中国でも翻訳されているのですが、中国では中久闊を叙すことをテーマにした歌詞になっています。

 

解散40年を経てグローバルなアーティストに

 

編集長 ザ・タイガースが解散して40年が経過しましたが、あらためて音楽に向き合っているような感じですね。

瞳 音楽活動を終えて、一時はドップリと文学にハマッていました。そして、今はその昔に原点に立ち返って音楽を見つめ直しています。とくに歌詞の大切さを感じています。音楽に深みを持たせることができるのは、やはり歌詞ですから。

編集長 最近は日本と中国を往き来しながら、日中の歌詞をそれぞれ翻訳したりしているそうですが、中国のコンテンツについてどのような印象を持っていますか。

瞳 中国には歴史、文化が豊富で、古典だけでも三国志、水滸伝、金瓶梅、西遊記などの魅力的なコンテンツがあります。一時は鎖国のような状態だったにもかかわらず、世界中の華僑・華人が自国にあらゆる文化・情報を持ち込んでいるので、中国には実に多様な文化が存在しています。また、人口が多いだけに才能のある人材も豊富にいるように思います。実際、テレビドラマなんかを見ても、実におもしろい作品がたくさんありますしね。もし中国のエンターテイメントが日本の音楽・芸能などのマーケットになだれ込んできたら、日本の芸能界は間違いなくパニックになってしまうでしょうね。

一方で文化大革命などの影響で、中国では知られていない日本のカルチャーも多数あります。たとえば、僕らやビートルズが人気の絶頂期にあったとき、中国は文化大革命の最中でしたから、中国ではザ・タイガースのことを知っている人はまずいないでしょう。ですから、いつかは中国で大規模なコンサートも開催してみたいと思っています。

編集長 グローバル化がすすむにつれて、瞳さんのように多くの国の文化や言語、情報を取り入れて、独自のアレンジを加えるアーティストが必要とされてくるようになりますね。

瞳 ザ・タイガースの活動は期間限定の活動ですが、その後も個人で活動を展開していきたいと思っています。その一環として、来年の2月から5月くらいの間に全国各地で「老虎再来」という中国文化や音楽をテーマにしたトークライブも開催していく予定です。ちなみに、このタイトルはマネージャーの中井國二氏に、ザ・タイガースの復活にあたっていいキャッチコピーはないかと聞かれて、その場で考え出した言葉です。いっそのこと曲もつくろうというで、同名の曲もつくりました。

―ところで、最近は地域おこしにも興味をお持ちだそうですね。

瞳 「花の首飾り」を作詞した菅原房子さんという方がいらっしゃるのですが、その方の出身地は北海道八雲町というところです。というわけで、八雲町にこの曲を使って、町おこしに取り組んでみたらどうかと提案しているところです。今度の北海道公演には町長さんたちを呼んで、是非とも直接「花の首飾り」を聞いてもらい、どう町おこしにつながるかをイメージしてほしいと思います。

編集長 ザ・タイガースのメンバーが中国や地域おこしにかかわっているなんて本当にビックリですね。これからも精力的に活動をつづけてください。

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〈編集長口評〉

「ザ・タイガース」は団塊世代であれば、誰もが知っているバンドだ。そのドラマーが中国語教師という職業を経て、ふたたび音楽活動を再開したのだからビックリ仰天である。その経験を生かして、日中の懸け橋になるような音楽活動を展開してほしいと思う。

 
東日本大震災でも奮闘!! ニッポンの消防団は地域防災の原動力だ!! 印刷
2011年 10月 10日(月曜日) 00:00

東日本大震災では自衛隊の活躍ぶりが大々的に報道されていたが、地域ごとに結成された消防団が陰ながら活躍していたことをご存じだろうか。そこで、今号ではそもそも消防団とはどういった組織で、どんな活動をしているのか、そして東日本大震災ではいかに活躍し、どのような課題が浮上してきたのかをリポートしてみたい。

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消防団員犠牲者253人

 

東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の消防団員の死者・行方不明者が253人に上ることが総務省消防庁のまとめでわかった。3県の死者234人、行方不明者19人、計253人である。県別では岩手県119人、宮城県107人と100人を超える犠牲者を出したことになる。

 

犠牲者のほとんどが地震・大津波発生直後に出動していた公務災害とみられている。阪神・淡路大震災(95年)における消防団員の犠牲者はわずか1名。これと比べると今回は犠牲となった消防団員の数が極端に多く、いかに被災状況が激甚であったのかがわかるのと同時に、地域防災上の人的体制などをあらためて考える必要が出てきそうだ。

 

たとえば、消防団員の公務災害に対しては市町村が掛け金を出している「消防団員等公務災害補償共済基金」の補償がある。たとえば、就学中の子どもがふたりあって死亡した場合は2540万円の一時金と310万円の年金が遺族に支払われる仕組みになっている。ところが、被災した市町村の掛け金による財政負担が重荷になっていることから、国の今年度第2次補正予算で約200億円を特別交付金として支給することが決定したという。また公的補償とは別に、全国の消防団員が加入している財団法人日本消防協会「消防団員福祉共済制度」による補償もある。しかし、想定外の大量の公務死亡の発生で準備金が不足し、代議員会で公務死亡の弔慰金を減額するという異例の決定を行わざるを得なかったという。こうした災害補償の面からも、地域やひいては国家のために犠牲となった人々への配慮を抜本的にあらためる必要もありそうだ。 

 

東日本大震災での消防団の奮闘

 

では、消防団はいかに震災と戦ったのか。消防団は大災害時には避難誘導や広報(大津波警報を伝える)といった業務にあたることになっている。また、海辺の水門を閉じたりするのも消防団の役割だが、「水門を閉じるために、現地に赴いたが、停電の影響により操作に難渋し、津波が押し寄せて危険な目に遭ったり、犠牲になった団員もいた。こうしたリスクを減らしていく必要がある」と話すのは財団法人消防協会の岩田知也常務理事。水門の開閉は日頃から訓練対象となっており、当日も消防団員たちは任務をはたすために水門に駆けつけたという。

 

そのほかにも「海辺に住む家族や親戚、知人が心配で、そこに向かおうとする近隣住民も多数いたが、団員はそれを塞き止め、避難誘導をしつづけた。ギリギリの局面まで海岸付近に留まり、地域住民を守ろうとした」「津波は火災を発生させ、山火事などを併発させる。今回も気仙沼など多くの地域で大規模な火災が発生したが、その際にも消防団は大いに奮闘した」という。

 

もちろん、震災後も消防団は復興のために全力をつくした。自衛隊などと連携して、ガレキ撤去や情報収集に率先して取り組んできた。ちなみに、気仙沼では消防団がバイク隊を結成していたため、被害後の情報収集がスムーズに行われたという。「なかには家族や親戚、家族の行方がわからない団員もいたが、多くの団員が一致団結して復興に取り組んだ」というから、その使命感には敬服の一言である。

 

なお、消防団は先の阪神・淡路大震災でも地域社会を守った実績がある。阪神・淡路大震災では死者の約8割が建物倒壊による圧死などが死因だったが、建物の下敷きとなるなど要救出者の約8割が消防団や町内会などの近隣住民によって救出されたのだ。急な災害の際は周辺住民同士の助け合いが重要になるが、まさに消防団はその核として機能してきたのだ。

 

このように災害と戦いつづける消防団だが、未曾有の大地震・大津波の被害による被害はあまりにも大きい。こうした被害を最小限に抑えるためにも、地域の防災・治安の責務を負っている消防団員の位置づけや安全対策、情報装備、訓練など、検討すべき問題が浮上してきそうだ。たとえば、現場では装備の問題などが浮上したという。「ほとんどの消防団では団員個人に無線装置が与えられておらず、平常時には機能しているケータイは震災時には回線がパンクしてほとんど連絡が取れないような状況になっていた。トランシーバーが有効だったという話もあり、団員が個別に利用する無線機を拡充する必要がある。そのほか、期待されている活動を行うためにも、安全管理の面でも装備の充実をはじめ、消防団の活動環境の整備が急務ではないか」と岩田常務理事は話す。

 

加えて今日の日本は、歴史上経験のないレベルの高齢化社会に突入している。若者の比率は徐々に減少するなかで、文字通りの気力と体力を求められる防災活動を地域において、どのように維持・拡大できるかが重要になってきている。 

 

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団員減少に苦しむ消防団

 

このあたりで、そもそも消防団とはどのような組織なのかを紹介したい。日本の消防活動は市町村に設置される常勤の消防本部と非常勤の消防団が連携して行う仕組みになっている。古くは江戸時代の江戸町火消し、明治時代の消防団とつながる歴史を持ち、戦後1948年に消防組織が公布され、今日の自治体消防の体制が整備された。消防団はすべての市町村に設置され、団数は2275、消防団員数は約88万4000人にもおよんでいる。

 

しかし、その数は平成に入ってから急速に減少している。過去の消防団員数を振り返ると、昭和40年133万人、昭和50年112万人、昭和60年103万人となっている。昭和40年比では3分の2に縮小。直近では平成16年が91万9105人で、平成22年は88万3698名といった感じになっている。日本の末端の防災防御能力は昭和40年と比べて3割も減少しているのだ。さらに団員の高齢化も問題視されており、現在、すでに40歳以上の団員が41・5㌫にまで増えているという。

 

また、消防署は消防本部の組織で、そこに勤務する常勤の消防職員は一般職の地方公務員だが、消防団は別の職業を持ちながらみずからの意思で参加する人々によって構成されている。つまり、消防団員とは本業を持ちながら「自分の地域は自分で守る」という精神にもとづいて消防活動を行っている非常勤特別職の地方公務員なのだ。ちなみに、かつての団員は農業や商店主など自営業者が多かったそうだが、現在は7割が被雇用者で活動上の制限が多いといわれている。しかも、その年間報酬は交付税算定の目安が団員で3万6500円であるのに対し、自治体で実際に支給されている額は平均約2万5000円と大きく乖離があり、待遇面での改善も求められている。

 

ところで、日本には798の消防本部があり、その消防職員数は約15万9000人だが、東日本大震災における死者は20人、行方不明者は7人にとどまった。このことから東北3県では常勤の消防職員の犠牲者の約10倍に相当する消防団員が亡くなっていることがわかる。これは大規模災害の際には消防本部の拠点数、職員数だけでは被災地をカバーできないということだ。風水害なども同様だが、災害発生時の初期対応には、地域事情に詳しい消防団員の知識、判断力、住民誘導などの活動を欠かすことはできない。そうした地域の「住民機動力」を今後どのように養成できるかが、ますますもって重要になってきている。 

 

女性消防団員の活躍に期待

 

減少傾向にある消防団だが、近年では女性消防団員の活躍ぶりが目覚しいという。「そもそも、漁村などでは古くから男手が漁に出てしまうため、女性消防団員の活躍ぶりが目覚ましかった。ところが、最近では都市部でも女性消防団員の活躍ぶりが目立つようになってきた」と岩田常務理事は話す。事実、平成22年10月1日現在で1万9400人(前年同期比886人増・全消防団員の2・2㌫)で、女性消防団員を採用する消防団は1216団(全消防団の53・4㌫)となっている。ちなみに、女性消防団員は広報活動や高齢者宅の防火訪問、応急救護手当の講習、防火普及活動(火災報知機の設置)などにあたっているが、地域によっては火災現場にも出動するそうだ。「消防団の役割が拡大するのにともない、女性消防団員の活躍の場が増えている。また、女性消防団員が多い東京などでは、みずから消火部隊になりたいと願い出る人も増えている。こうした女性の活力を生かしながら、消防団の組織力を高めていきたい」と岩田常務理事は話している。

 

また、女性消防団員だけでなく、最近は学生消防団員の数も増加している。現に平成18年には1234人だった学生消防団員だが、平成22年には1804人まで増加。また、千葉市消防団では全国でも珍しい学生消防団「千葉市消防団第3分団5部(大巌寺)」が誕生。これは防災ボランティア組織として淑徳大学に設置されていた「淑徳大学学生消防隊」が、近隣消防団における団員としての活動期間を経て発足したもの。全国的にこうした動きが活発化していけば、若いエネルギーを消防団に生かすこともできそうだ。

 

平成25年は現在の消防組織が誕生してから65年目の節目となる。また、消防組(現在の消防団の前身)が誕生して120年目の節目でもある。これを機に日本の地域防災力を高めるためにはどうすればいいのか。大いに議論を交わす必要がありそうだ。

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地域性豊かな消防団の取り組み

 
日本消防協会が発行している『新時代に対応した消防団運営』には各地の消防団のユニークな取り組みが紹介されている。たとえば、訓練・災害対応編では福岡県の大野城市消防団による多機能型消防車両を活用した訓練などを紹介。平成22年に日本消防協会から交付された多機能型車両による訓練の模様が掲載されている。それによると、多機能型車両にはエンジンカッターやチェーンソーなどが搭載。それを使って地震で倒壊した家屋から負傷者を救出するという想定の訓練を行ったという。そのほかにも、地域再編・機能別分団(団員)編、地域へのPR活動編、地域住民への防火指導・予防広報編、女性消防団員の活躍編、都道府県の取り組み編、その他にも事例編といった項目の活動事例が盛りだくさん。最近の消防団の活躍ぶりをチェックするにはもってこいの一冊になっている。なお、日本消防協会のホームページ(http://www.nissho.or.jp/)でも事例を閲覧することができる。

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知られざる「鳩レース」市場の地域経済 印刷
2011年 9月 16日(金曜日) 00:00

昭和40年頃には登録鳩が400万羽と、ピークを迎えていた鳩レース。一時は鳩レースを題材にした漫画が連載されるなどして、子どもたちの間でも高い人気を誇った。そんな鳩レースは現在でも年間数千回開催されており、その周辺には鳩の飼育や飼料づくり、鳩舎経営といった具合に、ふるさとを活用できるビジネスがイッパイだ。では現在、鳩レースはどのような状況にあるのか。また、鳩レースは地域経済とどのように結びついているのか。そのあたりの動向をリポートしてみたい。

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鳩は情報通信のさきがけ

 

昭和39年の東京オリンピックで数千羽の鳩が放鳩された姿を記憶している人も多いのではないか。その東京オリンピックと相前後するように、鳩レースは日本でブームを迎えた。実際、昭和40年には足環(鳩レースの際に鳩の足に付ける識別番号付きの登録証)登録した鳩の数は400万羽と、鳩レース競技人口のピークを迎えたのだ。社団法人日本鳩レース協会(東京都台東区)事務局長の宮川幸雄さんによると「鳩レース協会員は昭和30年には3万人となり、現在は1万6000人前後でほぼ横ばい傾向だ」そうだ。また、78年に『週刊少年チャンピオン』でレース鳩を題材にした飯森広一氏の漫画『レース鳩0777(アラシ)』連載され、若年層も鳩レースに参加するようになり、競技人口の裾野が一時的に広がったこともあるという。

 

レース鳩の歴史は非常に古い。もともとは伝書鳩として文書を遠くへ運ぶというのが役割であり、情報通信の初めてのツールだった。『伝書鳩 もうひとつのIT』(文春新書)黒岩比佐子著にそのあたりの歴史は詳しいが、先の大戦で日本でも鳩は軍鳩として軍事戦略上、重要な役割を担っていた。

 

その後、鳩は新聞社や通信社で記事や写真を運ぶ通信手段としての役割を担っていた。新聞社、通信社の屋上には鳩舎があるのが当たり前の光景だったのだ。だが、電話やITの普及によって、通信手段としての役割は終わり、今ではレース鳩としての役割だけが残ったのだ。

 

なお現在、レース鳩を統括する団体としては、農林水産省管轄の社団法人日本鳩レース協会と日本伝書鳩協会のふたつがある。宮川さんによると「鳩レースに参加するには、どちらかの団体に所属して足環を鳩に装着させなければなりません。足環をしているのがレース鳩であり、それ以外はドバトということになるのだ」そうだ。

 

 

まだまだ人気を集める鳩レース

 

日本における鳩レースの競技人口はピーク時より下がったとはいえ、年間数千レース近く開催されている。レースは100、200、300、500、700、1000キロ別に分けられている。そもそも鳩の帰巣本能を生かしてレースを開催するので、レース自体は各地区ごとに開催される。鳩レースに参加する鳩舎は各地区連盟に所属し、地区連盟ごとに主催する鳩レースに参加するのだ。そのため、鳩レースには全国大会は存在しない。また、鳩レースの特徴は、スタート地点は同じでも、ゴール地点はそれぞれの参加者の鳩舎となる。もちろん、微妙にレース距離が違ってくるので、着順を競うのではなく、どれだけ速くゴールに着いたかを競う分速計算で順位を決定するのだ。

 

東京スカイツリーの近くに鳩舎を持ち、数々のレースで優勝経験がある東京中地区連盟の及川茂さんを訪ねた。及川さんは鳩レースの魅力について「飼育、訓練、レース、繁殖交配まですべてを自分の管理でやることができるのが魅力です」と話す。

 

及川さんはこれまでに『若大将号』という短距離、長距離の双方に強いレース鳩を育て、数々のレースで賞を獲得してきた。もちろん、鳩の訓練にも独特のこだわりを持っている。「鳩舎に帰還してくる鳩を竿ではらい忍耐力をつけさせます。また、与える餌にも独自の配合があります。そして、何よりも手間をかけ、鳩それぞれの資質をとらえて訓練することが結果につながるのです。奥が深い競技なので、長年趣味としてつづけてこられました」と。実際、その鳩レース愛好家ぶりは並大抵ではなく、鳩を飼うためだけに都心にビルを建てたというからビックリだ。

 

 

鳩オークション市場の意外な活況

 

日本では高齢化で競技人口が減少傾向にある鳩レースだが、欧米などでは今も盛んで、鳩レースオリンピアなるものまで開催されている。また、台湾や中国でも鳩レースは大人気。台湾ではひとつのレースで10億円以上の金が動くことがあるという。また、及川さんによると「レース中に網をかけて鳩をさらい、その身代金を要求するような事件もたくさんある」そうだ。また、今年の1月にはベルギーのオークションで中国人富豪が20万ドルでレース鳩を競り落としたという事例もある。そのほか、海外では血統に関する専門雑誌やレース情報の雑誌が何誌も創刊されている。どうやら日本と違って、レース自体に高額な賞金が賭けられていることで、多くのファンの心を掴んでいるようだ。

 

だが、日本でも鳩のオークション市場は非常に元気だ。鳩舎を営む鳩マニアは、鳩をレースで優勝させ、オークションに出品して売り、鳩レースのための費用を捻出しているという。「平均的には5万~10万円だが、なかには数百万円でオークションされる鳩もいます」と宮川さん。協会の発行している『レース鳩』という雑誌にもレース結果のほかに、誌面の3分の1が鳩舎の鳩の売買広告で埋まっている。当然ながら、血統がいいほど好まれるため、鳩を育てた鳩舎にはすぐに「買いたい」という問い合わせが殺到するという。また、なかには交配のためにベルギーやアメリカなどから優秀な血統の鳩を輸入し、交配させるファンもいるそうだ。

 

 

鳩レースによる地域経済

 

では、鳩レースにはどのような産業が関連してくるのだろうか。そのひとつが鳩舎である。鳩舎の場合、鳩の数が増えれば増えるだけ、大規模なものを用意しなければならない。しかも、鳩レース愛好家となると、1羽や2羽だけでなく、100羽以上飼うことも多いというから、かなりの規模が必要になる。だから、鳩のために専用のビルを建てたり、2階、3階建ての鳩舎を建てたりする愛好家も多いそうだ。また、鳩舎内の止り木、巣箱、移動用の放鳩籠なども必要になるが、各地にそれらをつくる専門の木工所などがあるという。

 

とはいえ、最近の住宅事情などから、鳩レース協会では委託鳩舎制度を実施しているという。これは鳩を預かり、飼育、訓練などを肩代わりしてくれる制度でのこと。八郷国際委託鳩舎と伊賀国際委託鳩舎の2カ所で、1羽当たり年間1万5000円で引き受けているという。また、鳩の餌である飼料も大きな市場をつくっている。とくに穀物、ビタミンなどを10種類、20種類と配合した既成品は愛好家にとっては必需品なのだそうだ。

 

さらに鳩医療・健康管理に関する産業にまで裾野は広がっていく。「一番お金がかかっているのは薬代やサプリメント、入浴剤かもしれません。どんなに優秀な鳩でも身体を壊したら、レースで優勝できないからです。私は日本の薬はもちろん、海外の鳩専用の薬や入浴剤を輸入したりもしています」と及川さんは話す。現在、日本では鳩専用の薬をつくるメーカーはほとんどないというから、これに目を付けてみるのもおもしろいかもしれない。そうすれば、国内のみならず、欧米や中国、台湾など輸出していくことも夢ではないだろう。ところで、日本には鳩専門の医療機関は少ないため、(社)日本鳩レース協会では「ピジョンクリニック」(03-3823-8310)や薬の販売を行う「協会ピジョンドラッグ」(03-3823-8310)を併設しているそうだ。

 

ところで、こうした産業を活性化するには、若年層の鳩レース愛好家を増やす必要がある。そこで、鳩レース協会では「幼稚園で50キロくらいの鳩レースを開催して、子どもに鳩レースの楽しさを伝える取り組みなどを行っている」そうだ。また、先日は品評会で初めて女子大生が優勝したというニュースも報じられた。こうして多くの若者たちがその鳩レースに興味を持つようになれば、鳩レース市場や関連産業はさらに元気になるはずだ。

 

 

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鳩レースの帰還率が減少

 

レースに参加した鳩の鳩舎に帰ってくる羽数を帰還率という。100キロと1000キロのレースでは100キロのレースのほうが帰還率はいい。その帰還率が全体的に年々悪くなっており、レースによっては全滅するレースも発生しているという。これは日本に特有の現象だそうだ。その原因は近年の通信・放送網の拡大で、基地局や携帯の電磁波が多くなり、鳩の方向感覚を狂わせているからだという説もある。

 

しかし、鳩レースを実際に行っている人たちによると、保護による猛禽類の増加が一番の原因ではないかという。とくに鷹は一般の人が思っているよりも多くなっており、レース中の鳩を襲うケースが増えているそうだ。このように鳩レースが自然環境の変化を察知する手立てになることもありそうだ。

  

鳩の帰巣本能

 

鳩や犬、猫など距離の離れた遠い場所から自分の巣に戻ってくる能力を帰巣本能という。イギリスの犬が150キロ離れた場所から7週間かけて帰ってきた事例があるようだが、鳩の場合は1000キロ離れた場所、あるいは2000キロ離れた場所から巣に戻ってくるという驚くべき帰巣本能を持つ。動物の帰巣本能については科学的な定説があるわけではなく、仮設があるのみである。それは五感を駆使し、頭のなかに地図をつくり出している感覚地図説太陽や月、星の位置から方位を割り出しているという天体コンパス説方位磁石と同じ働きをする物質が体内にあり、方角を探知している地磁気説などに大別される。ちなみに、鳩は太陽の位置などを確認して方位を決めているというのが一般的だ。

 

鳩レースに参加する方法

 

初心者が鳩レースをはじめるには、鳩を卵か雛の段階で飼うか、譲り受けることからはじめなければならない。ドバトを捕まえて飼うことも可能だが、おそらく帰巣本能を発揮して帰ってくることはできないだろう。

 

鳩レースに参加する鳩には管理された飼育と訓練が必要になる。また、鳩レースに参加するには(社)日本鳩レース協会か(社)日本伝書鳩協会の会員とならないといけない。さらに、鳩は足環(認識番号)を得ることによって、レース鳩として登録され、初めて鳩レースに参加することができるようになる。こうして、飼い主は自分の鳩舎のある地区の地区連盟に加入し、その地区連盟の主催する鳩レースに参加できるようになるのだ。なお、地区連盟は各県、各ブロックに組織されており、25人以上の会員で構成されている。

 

鳩愛好家被災に対する支援の輪

 

鳩愛好家の職種を見てみると、自由時間がある、鳩舎を建てる広い敷地があるといった条件から農家であるケースが多いようだ。もちろん、このたびの震災による被災地区にも鳩愛好家は数多く存在する。大津波で鳩舎を流され、家も流され、生活基盤を失った愛好家もいれば、亡くなってしまった愛好家も多い。そこで、全国の鳩愛好家が集まって、被災者のために募金活動を行っているという。また、鳩のチャリティーオークションによる支援活動も展開しているそうだ。こうした取り組みで、一日も早く被災者たちが鳩レースを楽しめるようになってほしいものである。

 


 

 
東北経済復興の処方箋「カジノ構想」再考 「カジノ構想」が急浮上、震災復興の処方箋となるか!? 印刷
2011年 9月 15日(木曜日) 16:54

復興特区のあり方が議論されるなか、カジノ構想が急浮上している。あまり日本には馴染みのないカジノだが、はたして実際にはどれほどの経済効果が期待できるのだろうか。海外のカジノを例にとりながら、日本版カジノが被災復興の処方箋となるかどうかを検証してみたい。

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東京都が発行したカジノ推進のパンフレット

東北カジノ構想の急浮上 

迷走する被災地復興案にあって、いま急速に浮上しているのが宮城県を拠点とするカジノ構想だ。もともと、このカジノ構想は突然降って湧いたわけではなく、これまでにも何度か議論されてきたものである。構想によれば、カジノを誘致して観光客を増やし、関連するカジノ事業を起こそうというのだ。沖縄、お台場と並ぶカジノ構想としてこれまでも繰り返し議論された経緯がある。すでに県議会は賛成の方向で一致しており、定数61名のうち40名がカジノ誘致議員連盟を組織している。カジノ誘致に関しては、もっとも現実味があるといえるのではないか。 

折しも超党派による「国際観光産業振興議員連盟」(カジノ議連・古賀一成会長)が、東日本大震災の被災地復興案としてカジノ構想を打ち出した。その収益金を復興財源に充てようというのだ。はたして、このカジノ構想、再浮上するであろうか。

 
カジノの経済効果 

06年、中国のマカオ(特別行政区)が米国ラスベガスを抜き世界最大のカジノ大国になった。ラスベガスの総収益が66億ドル(約7840億円)で、マカオが70億ドル(約8314億円)だったのだ。4億ドルもの差をつけて、ついにトップに躍り出た。マカオが成功した要因は外国資本の参入によるところが大きいと話す。さらに、カジノ成功のひとつとして交通の便と醸し出す雰囲気があるが、その点、マカオは「交通アクセスがバツグン」で、「裏路地にも小さいいかがわしいカジノが営業していて、その雰囲気も満点だ」という。 
マカオを訪れた観光客は06年で2200万人、その半数の1200万人が中国本土からだ。うち、700万人が香港からであり、観光事業がマカオのGDP成長率とカジノ収益を押し上げているという。ちなみに現在、マカオを訪れる外国人観光客の多くは日本人であり、マカオに外貨をもたらしているのは日本人ということになる。ガイドブック『マカオ・香港夜遊び地図2011年度版』を発行するシーズ情報出版の話によれば「購入する9割は日本人で、カジノ+夜の遊びという視点で編集している」という。まさに、カジノ・マカオのネライ通りになっているのだ。もちろん、マカオのGDPはカジノによる収益だけではない。カジノ関連企業が生まれ地元の雇用拡大にも貢献しているのだ。その一例にトランプがある。「カードゲームのトランプは基本的に一回使い捨てです。毎日のことですからトランプを刷る産業なんかもバカになりません」というように、カジノによる関連産業、地域経済への波及効果は計り知れないものがあるようだ。 

 

東南アジアのカジノブーム

カジノ構想が浮かんでは消えていく日本を尻目に、東南アジアではカジノの建設ラッシュがつづいている。ユニバーサルエンターテイメント社(日本)が中心となっているフィリピンカジノリゾート、MGM社(アメリカ)が参入している南ベトナムの大型カジノリゾートなど、外国資本が積極的に入りカジノ構想をブチ上げている。その背景には中国の飛躍的な経済発展があり、いずれもマカオと同じように中国からの観光客を想定しているのだ。 

日本のカジノ構想もやはり、中国人観光客を狙っている。が、各自治体が打ち出しているカジノ構想は、ファミリーでも楽しめる健全なリゾート型カジノ構想が大半である。はたして日本のカジノは、それらに対して競合できるだろうか。となれば、あらためてギャンブルの中身、遊びの中身、コンテンツが重要になってくるのではないだろうか。「スロットマシーンや、ルーレットを置いても目新しさはありません。丁半博打や花札、江戸時代にはあった賭け相撲とか、日本独自の“和風カジノ”なんかがウケるのではないか。花札なんかはオリエンタルで、外人にとっては興味ある図柄ですから、そのままお土産にもできますよ」というように、日本の博打文化を紹介するというのも一案ではないかとする カジノ推進論者もいる。またアニメを活用したコンピューターゲームやかつてのインベーダーゲーム、ファミコンといった、日本のお家芸であるストーリー性のあるゲームコンテンツを駆使するカジノというのもある」のではないかという声も。もともと、日本は競馬、競輪、オートレース、競艇といった公営ギャンブルやパチンコといった遊戯娯楽を楽しめるギャンブル大国である。この際、不況脱出、震災復興、外貨獲得という意からも新しいカジノコンテンツで“ニッポン復興”にチャレンジするというのはどうだろうか。 

 

カジノ誘致は特効薬となるか

では、国内での法整備、反対派や地元住民との調整、事業認可、周辺各国との競争などをクリアして、震災被災地での東北カジノ構想は本当に実現するだろうか。?国際カジノ研究所所長の木曽崇氏によれば、「過去10年、カジノ合法化の動きを見てきましたが、不幸なことですが震災が起こったことにより現実味が出てきました。宮城県議会も現在は多数派を占めていますが、9月の選挙で、カジノ推進派が再選されるかどうかはわかりません。そこは流動的です。カジノ構想が争点になれば良いのですが、そこまで話が煮詰まっているわけではありません。最近の話では、市民団体である名取市東部震災復興の会が中心になって、議会にアプローチしていると聞きますがどうなるかわかりません。候補地についても被災した仙台国際空港の案が中核になっており、被災地感情としてどうか、これもわかりません」と口調は重い。 

そして、カジノを建設した場合の経済効果は「カジノを含んだ複合観光施設で1000億から2000億円、そこを中核して観光開発がされますから、飲食店や商店、土産品屋なども出店してきますから、雇用が生じ宅地開発も進むと思います」と木曽氏はカジノの魅力を強調した。が、議論されているカジノ構想がなぜ実現しないのか。「ひと言でいえば政局が安定しないからでしょうね。コロコロと変わる政権では色気のあるカジノ法なんていうのは通らないでしょう。国民的な議論もまだまだです」と話す。

しかし、「早急にカジノをつくって回復をはかるべきだ」という声も出始めている。とくに、旅行事業者からはアジア(中国東北部、韓国、日本、ロシア極東圏、モンゴル)からのインバウンドに有利だとする声が。一方、反対する声も。マカオや、東南アジア、韓国と競合するのではないかとか、飛行機で11時間もかかるカジノ都市ラスベガスと競合するのではないかと心配する声だ。この際、あらためて北東アジア商圏の形成という視点から、このカジノに取り組んでいくべきではないか。カジノには潜在的なニーズやマーケットがある。韓国でも合法カジノの開放政策をとるか、とならいかで議論が起こっているという。日本でもそうした議論をすすめてほしいものだ。 

復興マスタープランにカジノを 

カジノはあくまでもここ北東アジアを舞台に、日本の新しい観光事業を確立してみよういう試みである。できれば被災地東北でチャレンジしてみるのはどうかという提言である。今のところカジノ県を名乗り出ている被災県は宮城県だけだが、岩手県、福島県など被災三県が連携してカジノ構想を推進するというのも浮上しているようだ。前述の木曽氏は「最終的にはそうなるのが理想ですが、上手く論議がまとまるかな、と思っています。復興特区の議論もそうですが、行政単位の垣根を越えて共通のルールで、ひとつの施策をやるのが理想です。タテ割りの自治体単位の境界を乗り越える必要があるでしょう。震災を契機に新しい自治概念が生まれてくるといいのですが」と期待する。

つづけて木曽氏は「いずれのカジノ構想も先走りし、突出している感じがする。まずは被災者の衣食住を再建させる復興プランを最優先すべきではないか。唐突にカジノ構想を持ち出すのは、実のある議論にはならず、反感だけしか生まないだろう。将来的な観光事業の拡大、雇用の創出としてカジノはキーワードになるのではないか」と話す。 

ここに1枚のパンフレットがある。表題には「カジノを推進します!!」とあり、副題には「カジノは総合的なエンターテインメント」とある。そのパンフレットの発行者は東京都、そして地方自治体カジノ研究会とある。

頁を開いてみれば世界110カ国でカジノが開催され、「カジノは世界で文化として根付いています」とある。しかもアメリカやイギリス、フランスといった先進8カ国でカジノのない国は日本だけだ。ショーやコンサートなどを楽しめるリゾートカジノ・ラスベガス、伝統ある大人の社交場として高級感のあるカジノ・モナコ、滞在型保養地のカジノ・バーデリン、空港内のカジノ・アムステルダムの例が掲載されている。そしてラスベガスには年間3500万人が訪れ、韓国の外国人カジノには年間70万人が訪れ、そのうち、65?が日本人だと記されている。 

むろん紙面では、カジノは経済に活力をもたらすと力説し、大きな「経済波及効果」と「雇用創出効果」が期待できるとある。平成14年10月に公表された東京都都市型観光資源の調査研究室によれば、その規模にもよるが、1000室を備えたカジノホテルを中心に1000室クラスからなる2棟、3000人収容のコンベンションホール1棟、1000人収容のシアター1棟ができ、来客者数は350万人、生産誘発額は2200億円、雇用は1万4000人といった年間効果が見込まれると試算している。

しかし、こうした夢のような話を実現するには法整備が必要だとしている。もちろん、ネットカジノを利用しているファンもいるいようだが、たとえ海外サイトを利用したとしても日本では違法なのだ。日本では宝くじやtoto(サッカーくじ)競艇、競輪のようにカジノ特別法の制定がゼッタイ条件となる。 

そのために、当時、東京都、神奈川県、静岡県、大阪府、和歌山県、宮崎県などが地方自治体カジノ研究会として法整備を行うよう国に対して要望している。ちなみに、この研究会は参加自治体の知事部局が扱うというモノモノしいものであった。が、カジノ=賭博というイメージを払拭できず、今日に至っているようだ。具体的にはカジノの監視システム、警備体制、カジノ関係者の資格審査、カジノ依存症や未成年者に対する入場制限の問題といったことなどが山積みされており、これらをクリアするには相当の時間がかかるということで、研究会もクローズしたのではないだろうか。

また「カジノは諸刃の剣です。たしかに経済効果はあります。しかし、あくまでも賭博ですから社会的なコストもかかります。依存症、犯罪、青少年教育といったマイナスの面もあります。そのあたりの冷静な議論が必要だ」と前述の木曽さんも話す。 

カジノ構想はあくまでも被災地再生のための処方箋のひとつである。カジノを建設すれば、すべての復興費用をまかなえるというものではない。観光商圏の創出、雇用や市場の活性化、外貨の獲得といったことにチャレンジしてみようということなのだ。カジノは有効な手段であることだけは明確にすべきだ。東北三県がこのカジノ構想を復興プランのひとつとして、議論を重ね、停滞している「復興」を一歩でも前進させることができればと思うのだが、いかがだろうか。 東日本大震災復興に関する

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ラスベガスのカジノストリートとカジノのイメージ

東日本大震災復興に関する 
政治、原発問題の動向 

日本の政治がメルトダウン!?

管首相の「居座り」、「居直り」をもって、日本の政治がメルトダウンしていると揶揄する論調が絶えない。福島第1原発のメルトダウン(炉心溶融)を原子力安全・保安院が認めるまでに事故発生から1カ月以上かかった。今日、原発ばかりではなく、日本の政治もメルトダウンに陥っているのではないか。

時事通信が7月7~10日に実施した世論調査によると、菅内閣の支持率は前月から9・4ポイント急落し12・5精となった。不支持率は71・2精だった。退陣を表明しながら時期を明確にしない菅首相への不信に加え、玄海原発の再稼働をめぐる政府内の混乱や失策、失言や九電のやらせメールなどが響いている。閣内や党執行部から公然と首相批判や早期退陣論が語られる光景は異常そのものである。かといって適当な後継者も見えてこない。今の菅首相が民主党内をコントロールする力を失っていることが最大の問題だ。

東日本大震災の被災地での発言で批判を受け、松本龍前復興担当相が就任直後にわずか9日で辞任した。首相自らの発案で原発再稼働の条件として持ち出したストレステストは「唐突過ぎる」と批判を浴びた。海江田経産相の辞任騒ぎに発展するなど混乱が続いている。首相は、第2次補正予算案、再生可能エネルギー特別措置法案、特例公債法案の三つの成立を退陣の「ひとつのメド」としている。与野党間の調整が必要だが、8月31日までの今国会会期内に3案件を成立させるのはムリなことではない。今こそ、被災地住民の目線で考え復興策を果敢に断行できる政治家の登場が肝要だ。

福島原発収束は第2ステップへ

一方、福島第1原発の状態は依然として予断を許さない。福島第1原発事故は、3基の原子炉で同時にメルトダウンが発生し、燃料の一部が圧力容器から漏れ出すという、世界にも例のない深刻な重大事故となっている。政府は7月19日、原子炉を安定的に冷やすことを目標にしたステップ1は「ほぼ達成した」と発表。その後には、数十年にわたる困難な廃炉作業が待ち構えている。数十年に及ぶ廃炉への手続きなど、東電や政府には引き続き、重い宿題が課せらている。

東電や内閣府原子力委員会などは、廃炉に向けた中長期の工程表案をまとめた。それによると、使用済み核燃料プールから燃料の取り出しを始めるのは早くて3年後。炉内から溶融した核燃料の回収を始めるのは10年後。さらに、原子炉を解体して廃炉完了までは数十年と想定している。

通常、原発から出る使用済み核燃料は、青森県六ケ所村の日本原燃再処理工場に運ばれるが、損傷した核燃料は通常の機器では取り出せない。溶けた核燃料を遠隔操作で切断する装置や搬出のための専用容器の開発が必要だ。取り出した核燃料をどこに保管するかも難題。国内の技術だけでは対応は難しく、海外の協力も求めざるを得ないとみられている。

循環冷却、稼働率カギ

ステップ1の第一の主眼は、炉の安定冷却にあった。当初は核燃料を原子炉圧力容器ごと冷やす「格納容器冠水」にこだわったが、高濃度放射性汚染水を冷却水に再利用する「循環注水冷却システム」に転換した。6月27日に本格運転を始めたものの、弁の開閉表示ミスやコンピューターのプログラムミスなどトラブルが続発。東京電力は7月20日、福島第1原発の放射性汚染水を原子炉の冷却に再利用する「循環注水冷却」の7月13~19日の稼働率が、6月末の本格稼働以来最低の53・7精だったと発表した。配管からの水漏れで装置を停止させたのが原因という。7月の稼働率を70精、8月には90精まで上げる目標だが、改善への道のりは遠そうだ。

3号機に窒素注入

もうひとつのポイントは、3号機の水素爆発をいかに防止するかだった。東京電力は7月14日、水素爆発を防ぐため、福島第1原発3号機の格納容器への窒素の注入を始めた。窒素注入は水素爆発を防ぐのが狙い。東電としてはこの3号機窒素注入によりステップ1のヤマは超えるとした。政府は水素爆発の防止がはかられることをひとつの目安として、不測事態に備えて住民に避難できるよう準備を求める「緊急時避難準備区域」を解除、縮小する方針を示している。こうした事態がつづくかぎりで、一部避難地域解除といったことは可能なのだろうか。はなはだ疑問だ。死力をつくして知恵を絞ってほしいものだ。

1号機建屋カバーの建設始まる

メルトダウンした原発からの放射性物質の飛散を抑えるのが、建屋カバーだ。東京電力は6月末から、1号機原子炉建屋を覆う建屋カバー(縦42神、横47神、高さ54神)の建設を始めた。岸壁に陸揚げされた最大750禔の資材をつり上げられる超大型のクレーン車1台が建屋のそばまで移動し、試験運転を行った。今後、事前に組み立てた鋼鉄製の柱や梁、ポリエステルのシートを張ったパネルなどを運び込んで、クレーンによる遠隔操作で組み立て、監視カメラや空調設備などを設置、9月末の完成を目指す。

太陽光コストは火力の3倍

原発事故の深刻さを背景に、太陽光発電。風力発電などによる「脱原発」「減原発」の議論が活発になっている。こうしたなかで太陽光発電などの電力を電力会社が買い取る制度を盛り込んだ再生エネルギー特別措置法案に対して、岐阜県が疑問を投げかけている。そもそも太陽光のコストは、火力発電の約3倍に達するという。しかもエネルギー供給が不安定な変動型電源、脱原発だけではエネルギー確保が難しくなってきた。今こそ英知を集めるべきときではないか。

同法案は菅首相が成立を退陣の条件とする法案のひとつで、法案成立を前提にソフトバンクの孫正義社長が35道府県と自然エネルギー協議会を設立。岐阜県は協議会参加を見送っており、「全量買い取り制度に依存するビジネスをいつまで続けられるか」と事業の持続可能性にも疑問を呈した。同県の試算では、30年までに1000万世帯で太陽電池を導入するという国の目標を達成するには12兆円のコストがかかり、その分が最終的に電気料金への上乗せを通じて国民負担となる。同じ発電量を天然ガスなどを使う火力発電所を建設して賄えば、負担は4兆円にとどまるという。試算には、孫氏らの協議会が計画する大規模太陽光発電所(メガソーラー)などは含まれず、その分を考慮に入れればさらに負担は膨らむ。ただ、政府は20年に買い取り制度廃止を含めた見直しを行う方針で、その場合は岐阜県の試算通りにならない可能性もある。 

 

日本各地のカジノ構想

●沖縄リゾート特区

沖縄カジノ構想は統合リゾート型特区に、カジノを誘致しようというものである。沖縄の経済的、財政的な疲弊と長年の基地問題を解決する政策論議としてカジノ構想が持ち上がり、観光の目玉として浮上してきた。沖縄はすでにリゾートとしてのインフラがほとんど整備されており、地勢学的にも中国、東南アジアの富裕層を呼び込むには、絶好の条件にあるといえよう。

県としてリゾート特区の議論は以前から進められており、青い海と豊かな自然、独自の文化圏を形成している琉球文化を観光の目玉として観光客1000万人、観光収入1兆円の世界水準の観光リゾート地を目指すとしている。その柱となるのは①国際観光推進制度②環境共生型観光推進制度③沖縄型特定免税店制度をあげている。

●お台場カジノ構想

お台場カジノ構想を石原慎太郎都知事が口にしたのは99年の都知事選であり、逼迫した都財政再建案として「お台場にカジノを建設する」とした。お台場にカジノをつくれば「年間の予想売上は6000億円から1兆円。その4分の1である年間1500億円から2500億円が都税収入になる」という試算をブチ上げた。00年、東京都公表の「東京臨海地区の将来像~東京ベイエリア21」には「観光、ショッピングや欧米や豪州でも観光資源として活用されているカジノなどの都市型エンターテイメントを享受し、魅力と活力のある東京の都市づくり」と記述があるように、さまざまな遊び娯楽を提供する複合型施設を建設するとしていた。その後も、法整備や社会的問題も含め調査、研究が行われ、03年にカジノ構想の停止宣言が出された。が、案自体がなくなったわけではない。

●大阪カジノ構想

民間企業15社でつくる「大阪エンターテイメント都市構想研究会」が、財政赤字に苦しむ大阪再生プロジェクトとして、「カジノオオサカ」構想を提言。大阪湾岸にカジノを中心とした複合施設を兼ね備えた総合リゾート施設をつくろうというのだ。この提言に「大阪なら1500億円は稼げる」「国民に増税だ!なんていわなくてもいい。世界の富裕層、外国人から金を巻きあげればいい」と橋下徹府知事はカジノ構想に意欲的だ。

 

 
ゼロから創る「地域経済」 印刷
2011年 8月 19日(金曜日) 10:51

猛暑の兆しを見せるなか、着々と被災地では復興に向けての動きがすすめられている。そこで、前号に引き続き、東日本大震災後の全体的な動きをウォッチしながら、被災地で活躍する〝復興キーマン〟たちの取り組みをレポートしたい。被災地復興は猛暑のなかにあっても懸命につづけられている。

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ガレキのなかから伸びるヤツデの葉。震災後も自然は何事もなかったかのように生きている

脱原発をめぐる動向

まずは東京電力福島第一原発の事故の動向から見てみたい。大震災発生から100日以上が経過したにもかかわらず、原発からの放射性物質の漏洩は今なお継続しており、事故収束のメドはついていない。期待されていた「循環注水冷却」も相次ぐトラブルに見舞われている。夏を迎えて現地で働く要員の疲弊も心配だ。今回の事故は国内問題に止まらない。「FUKUSHIMA」原発事故の波紋は、広く地球規模で拡散したおり、各国のエネルギー政策に諸課題を投げかけている。 

国際原子力機関(IAEA)の閣僚級会合がウィーンで開かれ、6月24日に閉会したが、議長総括では津波や地震など重大な危険の発生を見据え、原発の安全基準を強化する必要性が指摘された。また、加盟国に対し、国内の原発の安全評価をして報告するよう求める場面もあった。現在、世界では約440基の原発が稼働(休止中含む)しており、約80基が建設中、約90基が新規に計画されている。新興国が経済成長を支える電力確保のため建設に乗り出すケースが多いが、今後、その動きがどうなるかも注視しなければならない。

福島原発事故以降、一部の国は「脱原発」にカジを切った。脱原発にせよ原発維持にせよ、既存の原発の安全確保は最優先課題であり、わが国は福島原発における負の経験を世界のエネルギー政策に生かす責務を負っている。日本に課せられた課題は大きい。 

再生エネルギーへの期待感

原発事故以降、再生可能エネルギーや自然エネルギーに注目が集まっている。が、自然エネルギーと一口にいっても、運用段階になるといくつもの障壁がある。たとえば、北海道紋別郡興部町では01年に1億9000万円をかけて風車を建てたが、2010年10月に停止してしまったという。その理由は町債の返済に利益を回せなかったこと、あわせて部品の劣化にともなう修理費を捻出できなかったことなどだそうだ。 

太陽光発電も多くの課題を抱える。たとえば100万㌔㍗の発電電力が必要な場合、原発ならば0・5平方㌔の敷地でいいが、太陽光発電となると58万平方㌔(山手線内側相当)が必要となる。やはり「脱原発」には、節電型のスマートグリッドや天然ガス利用のガスコージェネレーションなど活用しながら、中長期的なプランを立てる必要がありそうだ。

発送電分離で電気料金が下がる!? 

今後のエネルギー問題を考える上で、発送電分離ができるかどうかは非常に重要になってくる。枝野幸男官房長官は5月16日の会見で、東電の事業形態について発電と送電部門の分離は「選択肢として十分あり得る」と明言したが、電力業界は「電力の安定供給、経済性、エネルギー安全保障などを考えると今の体制が望ましい」と主張した。

発送電分離とは電力会社から送電部門を切り離し、そこに電力を送る発電事業者間で競争させれば電気料金を引き下げられるというものだ。さまざまな事業者が接続する送電網は、公的な性格が強まることになり、太陽光や風力、地熱など再生可能エネルギーを大量に送電網に接続しようという政府の地球温暖化対策との整合性もとりやすくなる。発送電分離は電力会社の地域独占体制を崩して競争を促すだけでなく、再生可能エネルギーの大量導入の基盤になる可能性も秘めているのだ。 

風評被害はどうなるか

原発事故による風評被害の現状はどうなっているのか。東北の有力紙『河北新報』によれば福島の野菜、出荷制限が原発周辺を除きすべて解除になったという。福島県産野菜は地震と津波に加え、原発事故、風評被害の四重苦を受けた。全農福島の3月下旬の販売実績は、平年比でキュウリが32㌫、トマトが48㌫、アスパラガスが49㌫%にまで落ち込んだ。 

その後、野菜の放射性物質も暫定基準値以下や不検出が相次ぎ、徐々に出荷停止は解除された。安全性のPRの効果もあり、5月下旬の販売実績はキュウリ111㌫、トマト87㌫、アスパラ115㌫にまで回復した。

だが、小規模農家の経営を支える直売所は依然として苦戦がつづいている。風評被害をなくすためには「発がん性のリスクを検証した基準値の設置と、きめ細かい農家単位の検査体制の確立が必要だ」と県消費者ネットワークの佐藤一夫事務局長は指摘している。 

復興基本法がようやく成立

こうした状況にあって、6月20日に復興基本法が成立した。その骨子はつぎのとおりだ。一、復興資金を確保するため「復興債」を発行 一、地域限定で規制緩和などを行う「復興特区」を創設 一、内閣に復興対策本部を置き、復興担当相を新設 一、復興対策本部の下に復興構想会議を設置 一、原発事故災害を受けた地域の復興策を検討する有識者機関を設置 一、復興庁を速やかに設置。復興施策の企画・立案、総合調整、実施を行うとある。問題は復興際の発行とその償還財政をどうするか、だ。どうも消費税や所得税といった期間税をそれに当てようというのが政府の考えのようだ。一方で税と社会保障の一帯改革というテーマもある。試算によれば、2015年には42兆円(医療、介護手当て)の財源が必要になるという。仮に1㌫の増税が2・7兆円とすれば、最低でも5㌫増は確保したいところだ。とすれば、現行の5㌫の消費税は10㌫に。この増税がはたして日本経済にどう影響するか。その先行きに何があるのか。誰もそれを描けないでいるのだ、国債発行や増税が新たな停滞や不安をもたらすということもありうる。国家としてのリスクヘッジの手立てを示してほしいものだ。 

もちろん、被災地の早期復興のためには、復興庁の創設を急ぐとともに、この新たな官庁を「現地が主役」の司令塔にしなければならない。そして、復興庁の「本庁」は霞が関に置かず、仙台など被災した東北地方の拠点都市に設けることも検討すべきだ。東北大学をはじめとする地域の大学・研究機関の活用も重要になってくる。東北の「本庁」が霞が関に「出先機関」を置く。そんな「逆転の発想」で、現場優先、地域経済優先、地域住民優先の具体策を打ち出してほしいものだ。

省エネの代表格「LED電球」に注目が 

震災による不況ムードがつづいているが、なかには復興特需で盛り上がっているビジネスもある。たとえば「節電対策」製品の代表格である「LED電球」がそれだ。LED電球は通常の白熱球に比べて5分の1程度の電力しか消費しないスグレモノ。電球ひとつ当たりの価格が2000円前後とやや高価なため、これまで普及はゆるやかだったが、首都圏を中心にした電力不足が明確になるにつけ、人々の省エネ意識が高まり、注目を集めている。

カカクコムが4月に「節電に関する意識調査」を行ったが、その結果が実に興味深い。東日本大震災前の節電意識について「もともと意識していた」とする回答者は71・5㌫であったが、震災後では「意識が高まった」とする回答が97・2㌫に上った。 

また節電を意識して購入した製品をたずねたところ、震災以前では「テレビ」(41・9㌫)がもっとも高く、次いで「LED電球」(27・7㌫)という結果であったが、震災以後ではLED電球(26・8㌫)がトップとなり、「テレビ」は11・9㌫と震災以前と比べて30ポイント減少した。全体的にはほとんどの製品が大きくポイントを落としたなかで、消費電力が蛍光灯の半分であるLED電球が唯一震災前のポイント水準を維持したのだ。

また、調査会社のジーエフケーマーケティングサービスジャパンによれば、2011年5月第4週の電球市場のシェアは、LED電球42・9㌫、白熱電球の割合39㌫、電球形蛍光管18・7㌫。前年比ではLED電球の販売個数が2・9倍と急増中だ。地区別の販売動向では、計画停電が実施された関東・甲信越での需要がとくに高く、4月第2週のLED電球の数量前年比は181・2パーセント増と全国の同120・4㌫増を大きく上回っている。09年初めに7000~8000円台で推移していた平均価格が徐々に下落し、1000円台の製品も増えてきたことも普及の後押しとなっていると思われる。 

自転車、電動アシスト自転車も人気

大震災当日、数多くの人が徒歩による帰宅や都心部での宿泊を余儀なくされた。ところが、余震が落ち着いてから帰宅できたのは自転車通勤をしていた人だった。震災当日から、帰宅方法に困った人の自転車購入が急増し、駅前や人通りの多い路面店では自転車が飛ぶように売れた。ガソリン問題などの背景もあり、自転車通勤者がこのところ急増する傾向にある。 

自転車産業振興協会の2011年3月の販売動向調査月報によれば、自転車販売店1店当たりの販売台数は39・0台で前月比165・3㌫と急増した。千葉県のある販売店は「3月11日都内では、帰宅のため自転車がほとんど完売したとの情報が流れた。3月14日、電車が止まり都内に近い当店では、通勤のための安い自転車が売れはじめた。その後も新車の販売、万一に備えての古い自転車の修理が多く、例年になく数字が伸びた」と報告している。

また、ジーエフケー・ライフスタイルトラッキング・ジャパンは、4月に電動アシスト自転車の販売動向を発表した。2011年3月第3週の販売台数は1月第2週の約2・8倍を記録したという。その後、販売はやや落ち着いたが、自転車の最大需要期である新学期を迎えていることもあり、引き続き高い水準で推移しているという。ガソリンが不要で子どもを乗せることもできる電動アシスト自転車の販売は、エコおよび節約志向に後押しされ、右肩上がりの伸びを示してきたが、東日本大震災直後は通勤・通学の手段としてその需要は短期間で急速に拡大しつつあるようだ。 

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依然として処理がすすまないガレキ

 

 

復興に火を灯す薪ストーブ かき養殖業と「森は海の恋人」の再生!!

キーマン:畠山重篤さん(NPO法人森は海の恋人代表)

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「森は海の恋人」というキャッチコピーのもと、漁師でありながら植林活動をつづけてきた畠山重篤さん。その取り組みは日本のみならず、海外からも高く評価されている。そんな気仙沼が誇る漁業のキーマンは、震災後に何を思っているのか。復興に向けて歩み出した気仙沼の現状とともにリポートする。

牡蠣養殖が壊滅状態に 

三陸リアス式海岸に連なる宮城県気仙沼湾、その北方の唐桑半島にカキやホタテの養殖で知られる舞根(ルビ・もうね)湾がある。気仙沼駅から車に乗って約30分。山間の道が開けると緑の森に囲まれた穏やかな入り江が現れる。

舞根地区に車を乗り入れると、あたりに人の気配はなく、海は陽光で光り、波は静かで穏やかにないでいた。しかし、陸地には根こそぎ津波に持っていかれた家屋や施設の非日常的な風景が広がっていた。この地区は全52戸の世帯のうち44戸が流されるという壊滅的な被害を受けていた。 

ひとりの漁師がボートを出して沖に向かう。湾の中央ではクレーン船によるガレキの撤去作業が行われていた。海の様子を目視して戻ってきたその漁師に声をかけると「あの木の上の方を見てくださいよ」と10㍍以上はある木を指差した。その枝にガラスのブイが引っかかっていた。10㍍以上の津波が押し寄せ、集落を飲み込んだのだ。

白い髭をたくわえたその漁師の名は畠山重篤、50年近く牡蠣の養殖業を営むかたわら、NPO法人「森は海の恋人」代表を務め、舞根湾に流れる大川上流の室根山で木を植える活動を行ってきた。 

高台にある畠山さんの自宅は被災を免れたが、約70基あった養殖施設のほとんどは流された。入所していた気仙沼の福祉施設が被害を受けて、母親は帰らぬ人となった。一緒に養殖業を営み「森は海の恋人」の副理事長を務める息子の畠山信さんの自宅や事務局が流され、会員名簿も流失してしまった。「ガレキの撤去は海を再生するひとつのステップ。これから水質や衛生面など取り組む問題がたくさんある。海水の成分分析などに時間をかけながら様子をみなければならない」と畠山さんは話す。

「森は海の恋人」の誕生 

高台にあって被災を免れた畠山さんの自宅の裏手には、薪ストーブを中心とした手づくりの「集会場」がある。研究者やボランティアたちが日夜集まり、刻々と変化する被災地の情報交換が行われ、復興に向けたさまざまなアイデアがここから生まれている。

海の目視を終えて陸に上がった畠山さんは「集会場」の椅子に座り、森の木々が養った鉄が川に流れ、海を育む壮大なスケールの自然の営みについて話しはじめた。 

「沿岸域のいい漁場は、ほとんど河口にある。有明海でなぜノリがとれるかというと、筑後川のような大きな川があるから。栄養分が山から川を通じて流れてくる。塩水だけでは育たない。漁師は口に出していわないだけで、それはだれもが経験でわかっている。ところが、山や川、海の管轄は、林野庁、国土交通省、水産庁、県と分かれていて、縦割りの面倒臭い構造がある」と。

62年に気仙沼水産高校を卒業した畠山さんは、牡蠣の養殖業を父親から引き継いだ。ところが70年頃を境に赤潮プランクトンが大発生するようになり、白いはずの牡蠣の身が赤くなり、「血ガキ」と呼ばれて売れなくなってしまった。その原因は手入れされない杉山、農薬、除草剤、化学肥料の使い過ぎ、農業現場の畜産廃水、家庭からの雑排水、水産加工場から流される工場排水など、川の流域全体にわたる環境破壊にあった。さらに舞根湾に流れ込む大川河口から8㌔㍍の地点にダムをつくるという計画も持ち上がった。 

こうした気仙沼湾の環境破壊を懸念した畠山さんは89年に「森は海の恋人」をキャッチフレーズとして掲げ、大川上流の室根山でブナやナラの植林運動をはじめた。豊かな海に流れ込む川の流域にはかならず森があるという漁師の経験からこの運動は生まれたのだ。

さらに、北海道大学の松永勝彦名誉教授(四日市大学環境情報学部教授)が気仙沼湾で科学的な実証を行い、その生物生産量の約90㌫以上が大川が運ぶ養分で育てられていることがわかった。 

こうして運動は全国的に広がり、ダムの計画は中止され、川と海の再生に実を結んだ。20年以上前に最初に植林した場所には「牡蠣の森」と記された杭が打たれており、背丈をはるかにこえて、みごとに成長したブナがそびえているという。

アムール川が日本の漁場を豊かに 

海のなかの生態系は、植物プランクトンや海藻が増えることによって動物プランクトンが増え、魚が増えるという食物連鎖によって支えられている。植物プランクトンや海藻の栄養は、光合成によって供給される。それを担う葉緑素(クロロフィル)をつくるためには、鉄分が必要になる。さらに植物の生長に必要なチッ素やリンなどの養分を海のなかから供給するために、鉄分が重要な役割をはたしている。

鉄分はそのままでは粒子が大きいため、植物の細胞膜を通過できない。では、植物プランクトンが吸収しやすい鉄分はどこから供給されるのか。その源が森林だった。森林の腐葉土に含まれるフルボ酸が地中の鉄分と結びつきフルボ酸鉄という形になる。それが川を通じて海に流れ、植物プランクトンや海藻に鉄分を供給していることが研究によってわかってきた。 

この森が海を育む科学的な根拠を壮大なスケールで探ったのが、05年から09年にかけて行われたアムール・オホーツクプロジェクト(事務局・総合地球環境学研究所)という日本とロシア、中国との国際共同研究だった。研究の結果、オホーツク海と世界三大漁場のひとつである三陸沖の生産を支えているのは、アムール川が運ぶ鉄であることがわかったという。

アムール川はモンゴル高原東部のロシアと中国との国境にあるシルカ川とアルグン川の合流点を源に、中流部は中国黒竜江省とロシア極東地方との間の境界を流れている。ロシアのハバロフスク付近で北東に流れを変えてロシア領内に入り、オホーツク海のアムール湾に注いでいる。中国では別に黒河、黒水などとも呼ばれる。全長4444㌔㍍で世界8位、流域面積は205万1500平方㌔㍍で世界10位。日本の国土の約5・4倍の広さを持っている。岸辺の森から流れ出す栄養分が沿岸に藻場を作り魚を育むことを「魚付林(ルビ・うおつきりん)」というが、このプロジェクトはアムール川流域からオホーツク海を経て親潮域に至るまでの生態学的なつながりが「巨大魚付林」であることを証明した。 

アムール川流域には、海水中に溶け込む鉄の源となる広大な湿地と森林が広がっている。オホーツク海には真水が海氷となり、塩分が濃くなった海水が底に沈む熱塩循環がある。これが鉄を巻き込んで海流に乗って、北から親潮が来る三陸沖まで鉄を運ぶ。このためアムール川流域の環境がオホーツク海や三陸沖の漁場にまで影響を与えるのだ。

どうやら山と川、海とのつながりの中で豊かな漁場が支えられているのは間違いなさそうだ。しかし「林学をやっている人が水産学に口を出すのはありえない、隣の研究者が何をしているのかわからないという大学の縦割り研究では保全がすすまない」と畠山さんは指摘する。さらに「こうした学問の世界で縦割りの専門教育を受けた行政マンでは前に進めることが難しい」とも。 

復興のカギとなる木材加工技術

震災直後、気仙沼市の生活支援の立ち上がりが鈍く、業を煮やした息子の信さんは、みずから住民ニーズの把握と市内に入っているそれぞれの支援団体の連携に動いた。その結果、薪ストーブのまわりに支援団体が集まり、情報交換が行われるように。そして、それが実を結んで「唐桑ボランティア団」(http://karakuwa.net/)が誕生した。森は海の恋人、RQ市民災害救援センター、FIWC唐桑キャンプ、公益社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)、気仙沼ボランティアネットワーク聖敬会、とちぎボランティアネットワーク、天理教災害救援ひのきしん隊の7つの団体が参加して、定期的に集まって情報共有を行い、支援のムダをなくして効率良く活動している。たとえば、大部分の産業が消えた気仙沼では雇用問題が深刻化しているため、「被災地ツアーを企画できないか」「NPOで事務職を雇用して派遣できないか」といったアイデアをつぎつぎと出しているという。 

そんなとき「集会場」に群馬からひとりの来客があり、復興への糸口となる技術を持ち込んできた。木材を熱処理することによって安定した品質を確保できるEDS工法という技術だった。開発者である㈱EDS研究所代表取締役の石井幸男さんは「林業では木を切る時期は冬期と決まっているが、この技術を使えばいつ切っても使うことができる。間伐材でも品質を安定化することができる」と。そのため、この工法を使えば、生材の利用率を50㌫から80㌫に高めることができるという。現在は「地元の杉をこの工法で加工して、住宅の復興と雇用確保に役立てることはできないか」と畠山さんを中心として、検討がすすんでいる。

海の再生力に励まされて 

津波の濁流に飲み込まれた後、海から生き物が消えた。畠山さんは「養殖業はもう終わりだ」と思ったという。が、1カ月が経つと、少しずつ水が澄み、小魚の姿が戻ってきた。その再生力に励まされた畠山さんは「森と川と海のつながりがしっかりしていて、鉄が供給されれば、カキの養殖は再開できる」という確信を得た。そして、あらためて「森は海の恋人」の理念を掲げて、復興に取り組んでいこうと考えた。

一時は開催が危ぶまれた「植樹祭」も、一緒に運動を続けてきた一関市室根町の第12区自治体の人に励まされ、岩手県一関市室根町の矢越山ひこばえの森で開催された。舞根湾に注ぐ大川の源流域にあたる矢越山の会場には1200人の参加者が集まった。畠山さんたちが育てた牡蠣が食べられる日を待ち望みたい。

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がれきの撤去作業が行われている舞根湾

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畠山信さんと「集会場」の薪ストーブ。ガレキのなかから信さんが拾ってきたもので、水や電気、ガスがストップした被災直後はこれで火を焚き、芋をふかして食料を自給したという



最後のひとりまでことを決めた石巻高校トレーニング室の避難所リーダー

キーマン:高橋信行さん(東日本大震災圏域創生NPOセンター代表)

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依然としてつづく避難所生活。その生活環境はお世辞にもいいとはいえない。だが、かぎられた条件のなかで、前向きに生きていけるような雰囲気づくりに努めているキーマンがいる。阪神・淡路大震災時にもボランティアを経験し、現在は気仙沼の地域づくりなどを展開してきた高橋信行さんだ。彼が石巻高校で展開しているボランティア活動に密着した。

子ども中心の避難所生活

宮城県石巻市の石巻高校では、5月の末で100人以上の被災者が避難生活を送っていた。50人近くが暮らしている校内のトレーニング室を訪ねると、ダンボールで区切られたプライベートのスペースや室内に設けられた遊び場に子どもたちの姿があった。 

避難所のリーダー、高橋信行さんは避難所の小社会の暮らしのなかで「子どもの大切さ」をみんなに呼びかけてきた。規則は緩く、飲酒も自由にできる。そのなかで「子ども」を中心として自律を大切にしてきた。

そんな避難所の消灯時間は早い。夜9時になると電気が消えた。どこからか子どもの「おやすみなさい」の声が聞こえ、それに応える大人たちの声が聞こえた。 

起床は朝6時。高橋さんの朝礼で一日が始まる。不登校の子どもに「無理に学校に行かせずに『休んでもいいんだよ』といってあげてください」とみんなに話した。

雇用支援のNPOも設立 

高橋さんはNPO法人宮城県地球温暖化防止活動推進ネットワーク(NetPAGW)の事務局幹事でもある。また、バイオマス産業機構東北支所のコディネーターも兼任しており、気仙沼を拠点にまちづくり活動も行ってきたが、3月11日、NPOの活動で石巻市を訪れていたときに被災して気仙沼に戻れなくなった。「これを地球の自然が与えた天命」と思い、そのまま避難先の石巻高校でリーダーとなって現在に至る。

阪神・淡路大震災でボランティアを経験した高橋さんは、若いボランティアたちの先輩格でもある。「ボランティアをやるなら継続してやることが大切。定期的に来ると信頼関係ができる。『心のケアやります』と看板を掲げてもだれも来ない。押しつけや与える立場ではなく、来させていただく、やらせていただくというスタンスをもってのぞんでほしい」と厳しくアドバイスする。一方で「ボランティアは現地に入って住民のニーズを的確につかんでいる。ところが、そうした情報をつなぐ人や組織がほとんどない」と嘆く。 

そして、被災者は「人をなくし、心をなくし、傷つき、生きなくてもいい、津波と一緒にいきたかったという無力感にさいなまれる」と。そして、いずれそういう人たちは避難所にいても動かず何もしなくなってしまう。だからこそ、そうならないための環境づくりが必要だ」と。その想いを胸に、高橋さんは「最後のひとりになるまで被災者たちを見送る」と話す。

そのために、高橋さんはここで被災地の雇用促進活動を展開するために、復興組織「東日本大震災圏域創生NPOセンター」(圏創)を立ち上げた。すでに現在20人近くのメンバーが集まっている。圏創では「キャッシュ・フォー・ワーク」(被災者雇用事業)として、女川でガレキの撤去作業を中心とした復興事業をすすめている。ガレキ撤去作業の労働時間は防塵マスクを装着しても「4時間」が限度、なかなか思い描くような雇用促進にはつながっていかないと残念がる。 

ところで。石巻高校では6月末で自衛隊による給食支援が終了し、弁当の配給となった。ボランティアによる炊き出しも現在は行われていない。高橋さんは自炊による食事ができるよう石巻市に求めているが、認められなかったそうだ。毎日の食事は文字通り生きる糧、一日でも早い被災者の食生活の充実が望まれる。 

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朝6時、石巻高校トレーニング室の避難所で朝礼に立つ高橋さん

 
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